曳山LOVE ヒストリーズ

小石川伝通院に隣接する場所に塾舎があった(伝通院時代)の昭和5年の写真には、立派な鯛が鎮座。焼け野原の中にかろうじて塾舎が残った(西大久保時代)昭和23年久敬社神祭の写真の曳山は、鯛?それとも飛龍でしょうか?以降、確認できているだけで、昭和42年に酒吞童子と源頼光の兜、43年赤獅子、44年鯱、45年青獅子、49年?に飛龍、53年に今に残る赤獅子(夭逝した現役塾生の冥福を祈るために、彼の出身町である中町の青獅子へ1年だけ姿を変えた)が製作された。令和4年の大晦日には、何と第73回NHK紅白歌合戦に堂々出演。代々の先輩諸兄がこのような素晴らしい曳山を製作され、現役塾生が修復を重ね、襷をつないできたことに敬服の念は堪えない。
9月になると、曳山の点検・囃子の稽古など、千代ヶ丘祭と同郷人懇親会の準備に、塾生は総力戦となる。忙しいが、塾生同士の絆を育み、地域のコミュニティに一役も二役も買うことになる。「久敬社と曳山は地域の宝」だと自治会の方は語り、「一番想い出に残る行事だった」と語る塾生もいる。
閑静な街千代ヶ丘が9月・10月は秋一色、とても賑やかになる時である。