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2020年12月01日

アフガンの大地に挑んだ中村哲医師—-12月の献立表です

アフガンの大地に挑んだ中村哲医師—-12月の献立表です

12月4日は,昨年アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の命日になります。

中村先生は,福岡市に生まれ,西南学院中から福岡高校を経て九州大学医学部へ進学。卒業後の最初の勤務先は,佐賀県神埼郡の吉野ヶ里町にある国立肥前療養所(現:国立肥前精神医療センター)でした。

1984年に,ハンセン病根絶のためにパキスタン北西部の州都ペシャワールへ派遣され治療にあたっていましたが,ソ連による侵攻,激しい内戦,米国等による空爆で戦乱に追われたアフガン難民の苦境を知り,アフガニスタンとパキスタン各地に診療所を開設していきました。

転機は2000年に起きた大干ばつでした。乾きと飢えの犠牲者の多くは幼児で,診療所の列を待つ間に腕の中で息絶え,呆然としている母親の姿を何度も目の当たりにしました。人々は村から消え,村々も消えて,荒廃した砂の大地が広がりました。「もはや治療どころではない。水こそが命を救う」。そう考えた先生は,土木の勉強を一から始め,井戸掘りや用水路を建設し,砂漠化した土地を緑の大地に生まれ変わらせていきました。「医者を100人連れてくるより用水路1本を作ったほうがいい」,「食料が自給できれば,3度の食事が取れれば,戦も起こさないし,傭兵になって戦に行ったりもしない」,「家族が皆一緒にいて,飢饉に出会わず安心して食べていけることが何よりも大きな願い」。中村先生の貫いた強い信念でした。

度重なる干ばつや洪水,紛争で国外へ去った難民たちは,やがてふるさとの村へ戻り,再び農業を営んで自立した生活を家族と共に送れるようになりました。その数は60万人に上ると言われています。

 

私たちが持たなくてよいものは何か,人として最後まで失ってならぬものは何かを先生は教えてくれました。

食べられることを真に有難いと受け止め,感謝の気持ちを持って1食1食しっかりと食事をしましょう。
12月の献立表はこちらです。24日には「クリスマス特別メニュー」が待っています。

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