1979卒塾

63歳 加茂郁一さん

花の東京

ぼくちん63才。娘の小夏9才、しじみ2才。 週末はこんな感じ

親元や住み慣れた町を離れてからこそ分かる「何か」

大学は花の東京へ行こうと、部活の先輩もそうだったし、高1の時からそう決めていました。親元や住み慣れた町を離れてからこそ分かる「何か」を求めていたと思います。そして当然ひとり暮らし。3畳ひと間でいいから、4年間はビンボーの極致を体験したいと思っていました。

しかし、冷やかし半分で参加した久敬社の説明会で気持ちは一転しました。先輩たちの話を聞き、いろんな写真を見せてもらううちに、たちまち寮での共同生活に憧れを持つようになりました。

採れたての原石のような皆なと裸と裸で

そして、めでたく入塾。学校もそうですが、久敬社の中にはいろんな人がいて、24時間いろんな話ができて、ぐっと世界が広がりました。外に出ても中にいてもすべてがまぶしく感じられました。やせっぽちの体に厚着して作り笑いを浮かべているだけの時代!と息巻いていた私ですが、採れたての原石のような先輩・同期・後輩たちと裸と裸でぶつかり合い、ひしめき合った4年間は、何と豊潤でかけがえのないものだったか。親からの仕送りは1万円。後は家庭教師のアルバイト代と奨学金。旅の費用は、建設現場の日雇労働とTVのエキストラで。おかげで超ビンボーを味わい楽しむはずが、結構ぬくぬくとした学生時代でした。お金の面だけでなく、集団の中で暮らせたということが。

だからあの4年間は、想い出せば胸が熱くなる、私の一生の宝物です。学生時代のキーワードをマーブルチョコを拾うように集めて検証したら、大部分が久敬社にまつわる喜怒哀楽へとたどり着く幸せを、年を重ねるにつれ噛みしめています。

(加茂 郁一 2019年9月 記)

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